1月15日〜20日

ちなみに上の絵はぼくが描いているわけではありません。ぼくはドラえもんを描く以外はまったく絵心のない人間なので、この絵は描いてもらってます。あとぼくは日常生活で「セキセキタ」と呼ばれることはまずないので、むしろ呼ばれたら恥ずかしいので、そろそろこの日記のタイトルを変えようかとも思っています。単に小学校のころセキセイインコを飼っていたからというだけの、何の意味もないネーミングでしたが…。

1月15日 伝記

サンプルの『伝記』を観る。「俳優の在り方」ばかり考えてる。それは単純にこれから松井さんの演出を受けるからでもあるし、先月まで現代口語演劇とは別のスタイルの芝居に出演したからでもある。
だいたいにおいて、役を演じる場合は、それが現代口語の場合は、戯曲に書かれていることを思考(想像力・記憶力)と身体的な記憶を駆使して、「普段の自分」に近づけたり、「普段とは違った自分」をねつ造したり、して演じているように思う。ようは演じる自分に対して嘘がないようにするわけだけど、普段の喋り言葉とは異なる文体で書かれた台詞などの場合は、その嘘を克服するための糸口がけっこう見つけづらい。そういうときは演出家によるメソッドをもとに演技を組み立てたりする(こっちが普通かも)。そのメソッドがもし自分的に納得できなくても、繰り返し練習を重ねていくと、納得というか違和感がなくなって、リアリティーらしきものが掴めたりもする。もしかしたら、大きな嘘をつけるくらい自分の器を大きくすることも、演劇の稽古には含まれているのかもしれない。まぁ、俳優の欲望としては、なんとか本番までにしっかり根拠のある演技をしたいわけだから、そのためにさまざまな手段が生まれるのは当然だろうと思う。
で、今回の芝居は、俳優が真面目に演じているのか冗談で演じているのか、よくわからないような不思議な感触があった。どちらにしても演技の源には、観客に対して嘘をつく演出家・俳優の原始的な快感があったように思う。ポスト・パフォーマンストークで松井さんが「戯曲に書かれたことと俳優の演じる根拠をズラす」と語っていて、すごい領域まで考えを及ばせているな、と改めて驚く。すごい面白いんだけど、その面白さが何層にもわかれていて、うまく言葉で表せられないんだけど、とりあえず演技のことをもっと考えたくなった。

1月17日 人のセックスを笑うな

DVDで『人のセックスを笑うな』を観る。松山ケンイチの髪型がいい。というのも、おれでも真似せそうなのなで真似そうかな、と不遜にも思ってしまった髪型だったから。ジャ・ジャンクーの映画を見てから、中国に比べ日本の風景は全然映画向きじゃないな、とか生意気にも思っていたんだけど、間違ってました。とてもいい風景でした。そしてそこに俳優がうまく馴染んでいたもんだから、ずーっと見られる。この映画を見た後に久しぶりに散歩らしいことをしたんだけど、この映画の視線がまだ身体に残ってて、その視線で街や森や川やその中にいる自分を眺めることができて、気分がよくなる。

1月20日 免許の更新

免許の更新のため、二俣川の試験場へ。大学のときにここで免許を取得したので、そのころを思い出して懐かしい。この寂れた感じ、にもかかわらず人がごった返している感じ。全国の免許試験場のある町はだいたいこんなもんなのか。講習を受ける。半分が映画鑑賞だったんだけど、その映画に大いに価値観を揺さぶられる。酒酔い運転防止の映画。ちょっぴり泣く。車が怖くなる。帰りにTSUTAYAがレンタル半額なので『デスパレートな妻たち シーズン2』を借りる。