幕張のおU

休日は幕張の浜へ。駅から海へ歩いて向かう途中に「おU」という、とても気持ち良さそうなポーズをとった女性の像があった。なぜ「おU」という名なのかは家に帰ってからインターネットを駆使してもわからないままだ。「おU」の像を過ぎ、林とまではいかないけど木々が鬱蒼と茂っている道を抜けていくと、いっきに視界が開けて海が広がっていたので、とりあえず「おU」のポーズをとってみる。

話は変わって、先日のエントリーにはちょっと未練が残っていて、それは書きたいところまで到達せずに寝てしまったからだった。何を書きたかったか、というと、ああいう微かで確かなコミュニケーションこそ宗教とかの代わりになるんじゃないかということで、たとえば「死ぬ瞬間になにを思えば救われるのだろうか?」という疑問についてたまに考えをめぐらせていて、今までは「大切な思い出を思い出しながら死ぬこと。だからいつ死んでもいいように大切な思い出を前もっていくつか選んでおく」と答えていたんだけど、保坂和志のあの小説を読んでから、あの微かで確かなコミュニケーションが答えを握っているんじゃないだろうかと思えてきた。死ぬ瞬間に今まで出会った人々を思い出し、そして彼らも時期は違えど必ず自分を一度は思い出してくれているであろうと想像すること、そして死ぬ間際に自分がこうして多くの人々を思い出している事実こそが、よりよく死ぬこと、もしくはそのヒントになるんじゃないだろうか。
といっても、実際に死ぬ瞬間にそう考えるかといったらまだ腑に落ちていないので保留の気持ちでいるんだけど、しかも死の間際となったらやっぱりパニクるのは火を見るよりもあきらかなので、よってこの考えはゲームの域を出ていない。まぁ、悟りたいわけじゃなくて、ただ興味があるだけなので別にいいけど。
と、ここまで書いてウトウトしてきたので「もう寝るぞ!」と「おU」のポーズをとってみる。