春眠暁を覚えず

春になると、これでもかというくらい「春眠暁を覚えず」を頭の中でくり返し詠んでいる。ようは眠たいんだけど、つねに眠たい状態はひととして引け目になりうるから、こう「春眠暁を覚えず」を詠むことよって「春はみんな眠たくなるもんだからしょうがないじゃん」と自分を慰めている。あまりに眠たいと夢を見るためだけに生きているような錯覚におちいるけど、いまはそんなふざけた気分を楽しんでみたい。桜が満開だとそんなふざけた気分も許容されるような気がする。

保坂和志「残響」を読む。「文藝」の夏号に掲載されている作家ファイルで磯崎憲一郎が「好きな小説ベスト3」で挙げていたから気になって買ったのだった(前田司郎は「赤毛のアン」シリーズを挙げていてそれもそれで気になった)。とりあえず収録されている中編「コーリング」を読み終わったんだけど、これかなり刺激的で、最近、大江健三郎賞を受賞した岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」へと通じるものを感じた。実験的でありながら、当たり前のように人間観察が鋭いことと台詞がうまいことに驚く(切っても切り離せないものなんだろうけど…)。
あと本屋で「ちいさいおやじ日記」と「植草甚一コラージュ日記」を買う。この2冊はページをめくったときのインパクトの強烈さが共通している。これについてはまた明日にでも書くと思う。