種村季弘と内田百間

ひとに聞かせるような出来事がここ2、3日起こってない。

最近読んだ種村季弘の「書物漫遊記」が面白かったから、同シリーズの「偽物漫遊記」と「食物漫遊記」のどちらかを買う目的で本屋へ出かけたんだけど、本屋の醍醐味は「迷うこと」にあるわけであって、このときも例にもれずなぜだか「ちくま日本文学 内田百間」を買ってしまった。前々から読んでみたかったんだけど、眠たくなりそうだな、と思ってずっと敬遠してきた作家だ。で読んでみたら、物語がまずおかしいんだけどそれと同じくらい文体がおかしくて、すげー、とあんまり眠たくならなかった。

なので「山高帽子」をちょっと引用。

そうして相変わらずよく眠る。いくら寝ても寝たりない。夜昼暇さえあれば寝床の中にもぐり込む。そうして中途で目がさめると、枕もとの水を飲んで又眠る。飲み下した冷たい水が、腹の中で暖かくなると同時に寝入ってしまう。水に催眠の力があるのではないかとさえ思う。
だから私の寝床には、いつでも家の者が気をつけて、お盆に水を載せて置いてくれる。その水が時々、私の飲まないうちになくなる事がある。夜中に目がさめて、いつもの通り水を飲もうとすると、寝る前には一ぱいあったコップの中が、半分足らずになっている事がある。始めの内は寝惚けて自分の飲んだのを忘れるのだろうと思ったけれど、段々そうではないらしくなって来た。これから寝ようと思って寝床に行って見ると、枕もとのコップに水がないから、家の者を呼んでそう云ったら、さっき一ぱいに注いで置いたと云った。そう云えば、コップの底がぬれていた。どう云うわけなのだか解らなかった。ある晩は、宵のうちから眠っていると、いきなり顔に水をかけられた様な気がして目がさめた。まだ下では家のものの話し声が聞こえていた。私は夢ではないかと思って、額を撫でて見たら、その手がぬれてたので、驚いて半身起こして辺りを見回したけれど、何の事もなかった。

何の事もなかったのか。