8月1日〜11日


7月29日の日記は前にも書いたことがある内容で、それは保坂和志の『残響』について書いたものだった。で、久しぶりに『残響』を読み直したら、やっぱり傑作に変わりはなくて、でも前とはまた別の箇所が気になって、っていうのは、登場人物でいえば堀井早夜香よりも野瀬俊夫の方が…、って、そんな突っ込んだこと書いてもあれだし、うまく説明できそうもないのでやめる。

8月1日 夏休み2

東京で一人暮らしする兄に誘われて、とくに思い入れもないし、実際に見ていたわけでもないガンダムの、例のあれを見にお台場へ行った。デカかったけど、想像以上のデカさっていうわけでもなく…。だけど、あれが単なる模型じゃなくて本当のガンダムだったら…っていう想像を、頭をひねったり、逆に思考停止したり、で試みたら、一瞬だけ「おぉ…」っていう瞬間が訪れたので、まぁ、良かった。
夜は江戸川の花火大会へ行く。何年ぶりかに夏を満喫している。花火大会には、当たり前だけど、花火を見に行ったわけだけど、その欲求を満たしてくれたのは「花火の域を超えた化け物みたいなやつ」で、何の分野にしても、それ自体の枠を超えるものを見るために人はそれを見に行くんだ、っていう、やっぱり当たり前のことに気づく。花火大会が「いわゆる花火」で終始するようだったら、夜の河原に何十万人ものひとが集まるわけがないわけで。「化け物みたいなやつ」は、単発でも見ごたえのある大きめの花火が、その輪郭が消えるほど激しく連発されて、もう花火なんて生易しいもんじゃなくて、目の錯覚を呼び起こしまくる、高度に繊細な大爆発だった。

8月2日 iPod持ってるのに…

貯金がたまったわけでも、ボーナス的なものが入ったわけでもないのに、iPhoneを買ってしまった…。

8月8日 ベケット

ベケットの小説は、今まで『モロイ』と『名づけえぬもの』をそれぞれ半分まで読んたことがあって、読んだはしからすぐ忘れてしまう内容に心地よさを感じつつも、やっぱり、結局は投げ出してしまって、またいつか読み返して、さらにまたいつか読み終えればいい、なんて思っていた。図書館で『新潮』*1のバックナンバーを読んでいたら、保坂和志佐々木敦の対談で佐々木さんがベケットの小説をこう言い表していて、また読みたくなった。

主体性を消去するというよりも、むしろ主体の消去の不可能を、そのギリギリの可能性の域で逆説的に証明してしまった。

だけどベケットの小説はいまは手元にはないので、やっぱり何度も読み出しては頓挫している、小島信夫の『寓話』を読んでみようと思う。

8月11日 自我!

最近は本を読んでいても「自我を信用しない」とか「自我の乗り越え」とか、そういうことばかり気になって、そして、それをなにかと演劇とばかり結びつけている。26歳にもなってアルバイトしつつ演劇をやっていると、さすがに俳優という、とても恥ずかしい立場とそれなりに折り合いをつけなくてはならないような気がしてくるから(いままでは成り行きでやってきたところがけっこうあった)。もちろん「やめる」のも選択肢のひとつだけど、どうにか続けるとして…。自我を押し出すような、ある種の俳優像はあまりしっくりこなくて、だからといって、そういう欲がないといえば嘘になるわけで…。そういう意味で、この前の佐々木さんの言葉は自分の中でかなり響いた。

*1:『新潮』じゃなかったかも…